ゆゆの字

今日と明日はタイピング休もう。
昨日の時点でかなりガタがきてた。






頭で考えてできそうであればその理論、理屈に従って実行すれば良いし、
頭で考えてイメージを構成できないのであれば、何も考えずに自分の中にある無意識領域に期待すれば良い。


瞬間最高速度は後者でやってきた。何故ならトップクラスの速度は理解不可能だと思ったから。
ここでもし”理解できるんじゃないか”と思ったらどうなるのか。
頭の中で理屈をコネくり回してしまって、無意識における自然体の流れが崩れるんじゃないかとも思う。
呼吸のリズム、体の全動作なんて考えて分かるはずもないし、そもそも指の動作ですら認識をしているわけではない。
あくまでも”認識しようとする”というベクトル(意識)を向けているだけのはず。
基本の動作は全て認識外のレベルで行われていて、そこからレベルアップするために速度に対するベクトルを向ける。
頭で考えたベクトルの方向性、精度というのは無意識レベルのベクトルに勝るのか。
この辺ベクトルの配分の問題かなーと考えてるとそもそも配分なんて考えてる時点で無意識のお話とは
全然違ってくるじゃねーかと言いつつもあくまで今やっているのは思考段階だからであって
実際の動作付き練習段階において考えるかどうかはまた別のお話だとかもう訳が分からない。
(実際練習中は何にも考えないで適当に打ってます。)





正確性は極めた人は何も考えなくても自然とミスが出なくなるのかな。
取り組んだことがないし、正確性はないに等しいので全く分からない。





最適化。
最適化というと
”言葉の意味は文脈によって変わる”という言葉が思い出される。
”変わる”だったか”固定される”だったか覚えていない。というかその他も違うかもしれない。
現代文の問題を解く上で重要らしいです。
あらゆる概念は単一の場所に固定されていると同時に全域に渡って遍在しているとか
そんな曖昧な考えと対極するのかがちょっと気になる深い言葉です。
なぜ最適化と関連するかと言うと、ある単語だけを最適化しても前後の単語、文の打鍵に弊害が
出るようであればそれは最適化とは言えないと思うからです。
「木」レベルの最適化が「森」レベルの最適化に通じるとは限らないと。


「木」レベルの最適化は意識的、「森」レベルの最適化は無意識的に行われるべき、とか考えてみた。
最適化もほとんどやってないからあまり分からない。
u は標準運指では本来人差し指ですがこれが自然と中指になるくらいだ。